大阪地方裁判所 昭和44年(わ)896号 判決
〔主文〕被告人は無罪。
〔理由〕一、本件公訴事実は、
被告人は、千手観世音菩薩の信者であるが、知り合いの三浦サヲの二女美恵子(当三五年)が精神病であるところから、これを祈祷によつて治療しようとし、昭和四三年二月二〇日午後三時ごろから大阪市西城区玉出新町通一丁目一五番地の三の三浦サヲ方において祈祷を行なつていたが、右美恵子が暴れ始めたため十分な祈祷ができないことから、同女を緊縛したうえ祈祷を続けようと企て、右三浦サヲと共謀のうえ、同月二一日午前一〇時前ころ、右美恵子をその場に引き倒し同女を押えつけたうえ、同女の手足を腰紐やタオルで縛り上げ、目かくしをするなどの暴行を加えたが、その際被告人において手で同女の甲状軟骨部あたりを強く押えたため、同日午前一〇時ころ、同所において同女を窒息により死亡させるに至らしめたものである。
というのである。
右の事実については「右美恵子が暴れ始めたために十分な祈祷ができないことから、同女を緊縛したうえ祈祷を続けようと企て」との部分を除いて、当公判廷において取り調べた関係証拠によりこれを認めることができる。即ち、<証拠>を総合すれば、
被告人は、岡山県下の農村に生れ育ち、昭和二五年頃、染物業を営む北中芳郎と結婚、一男二女をもうけたが、昭和四〇年頃、病気の神様とされる布引不動明王を神体とする布引不動智積院の信者である佐沢数葉の加持祈祷を受けて以来、右智積院の熱心な信者となり、その後自分の意志とは無関係に勝手に身体が動いたり、言葉が出るなどという体験を何回か経て、これは神様の力によるものだと信ずるようになつていたところ、昭和四五年二月二〇日午後三時ころ、三浦サヲから電話で精神病の症状を呈している三浦美恵子を祈祷によつてとり静めてほしいと頼まれ、そのような経験は始めてではあるが、サヲのたつての頼みに、緊張した気持で右サヲ方二階を訪れ、美恵子に会つたが、同女がわけのわからぬことを喋つている様子を見て、思わず「千手観世音菩薩、千手観世音菩薩」ととなえながら祈祷を始めた。そして被告人がサヲやあとで加わつた三浦清美(美恵子の娘、当時一七年)の三人で一心に祈祷を続けるのに対し、美恵子は被告人をにらみつけたり、つかみかかつてくるなどの乱暴を働いた後、一旦階下の三浦到一方に降りて行き、同日夜半頃、再び二階に上つて来た。被告人らは美恵子を廊下から部屋の中に入れないよう廊下との間に襖を部屋の中から押えるなどして祈祷を続けた。同女は部屋の中に入ろうとして右廊下で暴れるなどしていたが、翌二一日の夜明け頃、右襖を乱暴に取りはずして部屋の中に乱入し、仕切りの襖を足で蹴るなどの乱暴を働き出し、これに対し被告人は「早く帰つてこの子を楽にしてあげないかん。」とか「お前がいうことを聞かんから、ほれ見てみ、お地蔵さんが見物に来たやないか。」などと口走りながら、サヲと共に紐やタオルで美恵子の手足をしばつたが同女が暴れて紐がゆるんだため、なおも同女の上半身を押えつけ、琴の布袋等で目隠をするなどしているうち、被告人において右美恵子の頤部甲状軟骨付近を押えたため同女を窒息死させたものであり、被告人は祈とうを始めた二〇日午後三時頃から本件犯行時に至るまで、一時も休むことなく、食事もとらないで右祈祷などを引き続いて行つていたものであるとの事実を認めることが出来る。
二、ところで、医師市丸精一作成の精神鑑定書、第九回公判調書中の同証人および第五回公判調書中の証人松田方一の各供述部分によると、
被告人は、平常においては肉体的、精神的に特に異常は認められず、知能的にも平均人と変りないが、性格的な特徴として、知能面において直感的感覚的な判断傾向が顕著であり、情緒面においては、被暗示性が強くて外界からの刺激に混惑されやすく、何かにすがりつきたいという自我の弱さ、自律性のなさを有し、これらのことから対人接触態度も自己中心的なものになりやすく、また意思の緊張力を持続する上で自己調節機能が失調しやすい等の傾向がみられ、更に、脳波検査によると、被告人の脳機能は不安定であつて、外界からの刺激によつて容易に均衡を崩す可能性があり特に左側頭葉に異常脳波が認められ、これは被告人が脳機能の平衡を失つた場合、意識の変容をきたしやすい精神生理的基盤となりうるものである。
ことを認めることができる。
三、そして、右二掲記の各証拠、前記認定にかかる犯行当時の状況および被告人の信仰歴、第六回公判調書中の被告人の供述部分を綜合すると、被告人は、本件犯行当時、その宗教的確信、被暗示性が強い性格特徴、精神生理学的に混乱状態に陥りやすいような脳機能の不安定さに加わえて、精神異常者をお祈りで癒してほしいという被告人にとつては未経験で困難なことを依頼されたことによる緊張状態のもとで、精神異常者が病的症状を示しているという異様な雰囲気に直面し、長時間の祈祷による肉体的疲労もあつて一種の心因反応に陥つたものであり、自我意識が障害され、被告人は自分の言動が自己に所属するという実感はなく、自分の言動か他者の言動かどちらともいえない漠然としてた状態、ないし自我意識が高度に障害されて全く第三者によつてあやつられていると感じている状態との間を動揺していたもので、個々の言動の持つ意味、周囲の出来事の認知とその意味を理解判断する能力を喪つているのではないか、判断の方向が一方的に宗教的迷信の範囲にとどまる、所謂祈祷性精神病(平素、憑依、神罰、精神的感通などの迷信を有する者が、偶然これらに関係する恐怖すべき事件に遭遇するか、または自ら異様なりと思う症状に際会した折などに発症するもので、錯乱状態、昏迷状態および一時的な人格変換などの状態を呈し、この反応の際の人格変換は自己催眠によりおこる不随意言行に基づく人格変換であり、自我意識を失い、神、狐等の人格になつてそれに相当する挙動をなし種々なことを口走る状態をいう)に陥つていたもので、その自我意識の障害の程度は強いものであつたことを認めることができる。
四、従つて、当裁判所は右のような精神状況の被告人には松田方一、市丸精一両証人の述べる如く、本件犯行当時、自己の行為の是非善悪を判断し、それに従つて行動する能力を喪つていたのではないかとの合理的疑いが十分にあり、本件全証拠を検討しても被告人が本件犯行当時、責任能力を有し、或いは責任能力が心神耗弱の程度に止つていたとの心証を形成することができなかつた。
以上の理由により、本件は「被告事件が罪とならない」場合にあたるから刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。
(松浦秀寿 井上廣道 伊東武是)